忠臣蔵

一年の過ぎるのは早いもので、今年もあと数週間で終わろうとしています。
年の瀬といえば「忠臣蔵」ですね。当時の人々を驚かせた事件。

1702314日、事件は江戸城、松の廊下で起こります。
普段から嫌がらせを受けていた浅野内匠頭が吉良上野介に突然切りかかったのです。
吉良は額と背中に怪我を負いますが、浅野は居合わせた人々に取り押さえられ、
刃傷は失敗に終わりました。
これに激怒した将軍 徳川綱吉は浅野に切腹を命じます。
吉良は抵抗しなかったとして咎め無し。
赤穂浅野家は取潰し処分となりました。

数日後、浅野家筆頭家老である大石内蔵助は江戸からの勅使により、
事件の全貌と主君が切腹したことを知らされます。
大石は藩士を集め事件を説明しますが、
藩士たちは喧嘩両成敗であるはずの吉良に何のお咎めも無いことに納得できず、
篭城するか開城して御家再興を図るか意見は対立、大石は難しい判断を迫られます。

大石は開城を決断します、主君への想いを心に残しながら。
そして浅野内匠頭の弟である浅野大学を擁立し浅野家の再興を目指す一方、
依然として堀部安兵衛ら江戸急進派は仇打ちを主張していました。

1703年、幕府は浅野大学に対し広島藩へのお預かりを言い渡し、
赤穂浅野家の再興は絶望的なものとなります。浪人となった旧藩士たちも生活に困り、
再興のために集まった120人に次々と脱落者が出始め、
大石に残された道は吉良に対して主君の仇を討つだけとなるのです。

同年7月、急進派堀部安兵衛らを集め、吉良邸への討ち入りを決めます。
命を懸けた戦い、大石は集まった浪士たちに義盟への誓紙を返却するよう言い、
盟約を守れる者だけを残します。その数、47人。

しかし大石は毎晩酒を飲み、妾を囲っては金を使います。
ついには妻子にまで実家に帰られてしまうほど。
そうです、これは大石が吉良側を欺くために演じた芝居。
合言葉を決め、討ち入りの日取りを決め、計画は秘密裏に進んで行きます。

1215日未明、集まった四十七士は吉良邸へ向かいます。
吉良邸前には大石内蔵助率いる23人、内蔵助の嫡男である大石主税が率いる24人は
裏門と二手に分かれて侵入。
次々と吉良邸にいた人間を切り、ついに仇である吉良上野介を見つけその首を取ります。
吉良の首は槍の先に掲げられ、赤穂浪士たちは泉岳寺へと引き上げます。
泉岳寺、浅野内匠頭の墓前には吉良の首が供えられました。
亡き主君に報告を終えた赤穂浪士たちは出頭し、その処分を幕府の裁定に委ねます。

170424日、幕府は切腹を命じ、赤穂浪士たちは切腹。
その遺骸は君主の眠る泉岳寺へ埋葬されました。


当時の人々はこの赤穂藩士たちを忠義の士として称えたようです。
現代でも暮れになるとテレビで放送され人気ですね。

討ち入り前夜、赤穂浪士たちは吉良邸近くの蕎麦屋で酒を飲んでいます。
酒は剣菱。

人は何かを想うとき、その傍らに酒を置くのです。
赤穂浪士たちは酒を飲み、何を思ったのでしょう。
戦いの前に士気を高める者、楽しかった時代を思い出す者、
たとえ仇打ちを果たしても、自分たちには死が待っています。

今日は赤穂事件から304年後の1214日。
残念ながらもん家では剣菱は扱っておりませんが、買って飲んでみましょうか。


日本酒のすすめ

「酒は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

昭和48年をピークに日本酒の消費量が減り続けています。
酒蔵も当時の約半数が廃業しています。
今回のテーマはそんな日本酒について。日本人の酒です。
長くつまらないものにならないように、簡単に書くので読んでください。

酒を扱う仕事をしていると、日本酒が勘違いされていることに気づきます。
まずい、くさい、悪酔いするなどあまり良いイメージを聞きません。
確かに簡単に飲める日本酒の約9割がそういった酒です、なぜか。

第二次世界大戦中、日本は深刻な食糧不足、日本酒の原料である米不足に陥りました。
しかし、戦争に酒は欠かせません。当時の一部の酒造家たちは、
酒に安いアルコールや水を混ぜたのです。当然のように味が薄くなるので糖類も入れます。
すると砂糖水のようになるので酸味料も入れます。
量は三倍になりますが、旨いわけがないのです。この醸造方法が現在でも残っています。
美味しい日本酒を造る蔵元はその原料である水や米にこだわり、
知識と経験を元に全員が一つとなって醸します。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが事実なのです。

(注:アルコールの添加はその量が問題なのであり、アル添=悪ではありません。

上品な香りや,華やかな味わいを酵母に与えます。 純米にこだわる事はその楽しさを狭めてしまいます。)

米は食用では新潟のこしひかりが最高とされていますが、
酒米では山田錦といわれ、これは兵庫県が主な産地です。
新潟に旨い酒はもちろんありますが、新潟だから旨いのではなく、造り手の力です。
米はワインの原料である葡萄と違い、輸送ができます。
米どころが酒どころではないのです。

ここでもう一つ落とし穴。
お気づきと思いますが、山田錦なら旨い酒ができるかというと違います。
酒は簡単にいうと米の心部のデンプン質が糖へ、糖がアルコールに変わり造られます。
デンプン質のまわりのタンパク質は悪酔いの原因とされるアセトアルデヒドになるため、
削ってしまいます。
つまらなくなってきましたね、少しだけ我慢してください。
残った米の割合(精米歩合)が70%以下なら特定名称酒とされ、60%以下は吟醸、
50%以下で造られれば大吟醸と呼ばれるものになります。
ちなみに食用米の精米歩合は92%以上です。
米を削れば良い酒になりますが造られる酒の量も減るため、少し高価になります。
悪酔いする大手酒造会社の安い酒を飲む前にちょっとこの精米歩合を調べてみてください。
特定名称酒ならラベルに書いてあります。
(注:タンパク質は酒の味わいにもなるため、削れば良いものでもありません、
私の好きな蔵元さんは39%前後が良いのではないかとされています。)

若い時の飲み会といえば、大きな居酒屋でした。
乾杯はビールで。そのうちイッキ飲みなどをやり、罰ゲームは悪い日本酒。
皆さんも経験ありませんか?
安い酒でも旨く、良いものを造られている蔵元さんもたくさんありますが、あれは最悪。
お洒落にしたい時はバーでカクテル、ワインは特別な飲み物でした。
日本酒ってまずい、そんな飲み方すれば当たり前です。
まずいものに興味はありません。
以前日本酒の会でフランスの方とお会いしました。
「日本人はワインに詳しいが日本酒を知っている人は少ない、日本酒はとても悲しい。」
といっていたのが印象的でした。フランス人はワインを良く知り、大切にします。
ドイツにはビールが、メキシコにはテキーラがあります。
海外に行った時にはその国の酒を楽しみます。
私たちは日本酒に誇りを持てるでしょうか。

日本酒は世界でもトップレベルの醸造技術で造られています。
良い酒を造るとなれば、その温度やもろみの状態を
管理するため昼も夜も関係ないと聞いています。
蔵人が一丸となり、たくさんの工程を経て何日もかけて醸されます。
そうして出来上がった酒の味わいには個性、蔵人たちの気持ちがあります。
不思議です、同じ米から造る飲み物なのに。

日本酒はその酒質によって強い酒もありますが、
基本的に紫外線や温度によって、色合いや味わいが変化してしまう酒です。
蔵元が造った大切な酒をそのままの味、気持ちでお客様の下へ届けたい。
そう思えば酒屋も飲食店も酒の管理に気をつけなければなりません。
蔵元も一生懸命造った酒ならば、しっかりとした管理をしている酒屋にしか売りません。
うまい酒がコンビニやスーパーでも手に入れば良いのでしょうが、管理が悪く
味が変わった状態の酒を自分の見えないところで販売され、評価されたくないのです。

酒は嗜好品ですから、ビールが好きな方、ワインが好きな方をつかまえて
無理に日本酒を飲ませたりしません。私も酒は何でも楽しみます。
流行の芋焼酎も美味いですね、大好きです。
でも日本酒って面白いのです。ビールも焼酎も美味いですが、日本酒は
言葉がでないほど美味い酒もあれば、吐き出したくなるようなものまであります。
そして良い酒は合わせる料理を選びません、米から造る酒ですから。
その懐の深さ、初めて飲む銘柄の楽しさに日本酒好きは惹かれるのかもしれません。
ワインの出来は葡萄の出来と比例します。何年の○○とか、楽しいですね。
日本酒は米の豊作、不作とその出来は比例しません。造り手の上手い下手です。
トップクラスのワインは熟成中に2度美味しさのピークが来るといわれます。
日本酒はしぼりたての生なども良く、熟成すればピークは3度来るようです。
でもワインのように熟成に支持を得ていないこと、
時間がたったら悪くなると思われていることなどから、
ごく一部を除きプレミアなしで買えます。年度別の飲み比べも手軽に楽しめます。


どうでしょう、少し興味を持っていただけましたか?
福沢諭吉は著書 学問のすすめ の文頭で、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書き、
人は生まれながらに平等だが、貧富の差は知識の差であるとしています。
私がこれを引用させていただいたのは、日本酒をもっと知っていただけたら、
酒がもっと楽しくなるのではないかと思うからです。
ぜひ、日本の酒を飲んでください。そしてあなたの好きな日本酒に出会ってください。
一杯の酒が日本酒のイメージを変えてしまうのです。
日本酒って美味い酒ですよ。

日本酒よ、すすめ。


ヤマタノオロチ

地上に降り立ったスサノオノミコトは一軒の民家を見つけます。
そこには老夫婦が住んでいました。


老夫婦は泣いていました。スサノオはなぜ泣いているのか尋ねます。
「はい、私どもには8人の娘がおりました。ところがヤマタノオロチがやってきて、
毎年娘を一人ずつ食べてしまい、今はこのクシナダヒメ一人となってしまいました。
そして今年もオロチのやってくる時期が近づいてきましたので泣いているのです。」

スサノオはクシナダヒメを一目見てその美しさに驚きます。
そしてオロチを退治する代わりにクシナダヒメを妻に迎えたいと申し出ます。

ヤマタノオロチとは日本書記に登場する怪物、8つの頭と8本の足を持ち、
その目はホオズキのように赤く、体は血でただれ、8つの谷、峰にまたがるほど
大きいという恐ろしい伝説の生物です。

スサノオは老夫婦に酒を満たした酒桶を8つ用意させ、オロチがやってくるのを待ちます。
やがて辺りが暗くなり、雷が轟き、嵐とともにオロチがあらわれます。
クシナダヒメを探すオロチでしたが、酒好きのオロチは旨そうな酒の臭いに気付き、
8つの頭を酒桶に入れてぐびぐびと酒を飲み始めます。

やがてオロチが酔っ払って寝てしまうと、様子を窺っていたスサノオは十束剣を振りかざし、
オロチのすべての首を切り落としました。


老夫婦とクシナダヒメはこれで安心に暮らせると喜び合い、見事にオロチを退治した
勇敢なスサノオはクシナダヒメを妻に迎えたのでした、めでたし、めでたし。



諸説ではヤマタノオロチは水の竜を、クシナダヒメ(奇稲田姫)は稲田を表しているとされ、
毎年おきた河川の氾濫などによる水害と治水について書かれたものであると考えられます。


異常気象の昨今、田植えの前には旨い酒を供えたほうが良いかもしれません。
酒好きの方は飲みすぎに注意ですね。


同級生

「オマエ、大人になったらウチで働けよ」
鹿児島県のとある中学校の夕暮れ、将来を語り合う不良中学生二人。
後の焼酎界の革命児、西陽一郎さんが同級生の有馬さんに言った言葉です。

高校卒業後、西さんは東京農業大学の醸造学科に進み、焼酎の勉強をします。
大学を卒業してもすぐに蔵には帰らず、東京で流通を学びます。

自分の焼酎を東京の人にも飲んでもらいたい。
二年後、西さんは鹿児島に帰り、焼酎造りをはじめます。
有馬さんも働いていた会社を辞め西酒造に加わります。

中学二年生のあの日の約束。
―俺たちは焼酎で日本一を取る―

黄麹(日本酒で使われる麹、通常は黒、白)を使用し、

新しい焼酎を造る、いも焼酎を全国区に。
日夜研究に没頭します。若い彼らに妥協はありません。

蒸留機から輝く液体が出てきます。緊張の一瞬。
柑橘系の香り、芋焼酎本来のうまみはそのまま。
彼らの情熱のすべてを賭けた焼酎が産声を上げます。

完成した富乃宝山を抱え、期待に胸を躍らせ、二人は酒屋に売りに行きます。
「こんなの本物の芋焼酎じゃねぇ」
昔ながらの芋焼酎を毎日飲んでいる酒屋の親父は言います。

二人はあきらめません、もっと酒屋を回ろう、きっと売れる。
西さんはお姉さんのマーチ、有馬さんはトラクターで鹿児島中を駆け回ります。
しかし、現実はそれほど甘くありませんでした。
芋焼酎独特の味に慣れた鹿児島の人々に、
西さんの焼酎が受け入れられるには時間がかかったのです。
良い材料を使用するため、価格が少し高かったのも理由かも知れません。
蔵には売れ残り、山積みになった富乃宝山。

転機が訪れたのは鹿児島市内のとある酒屋に行った時。
ここの主人はうまい焼酎を次々と発掘する酒屋として有名です。
「明日からもってこい」
一転、富乃宝山はそれまでがウソのように売れ始めます。
やがて東京の酒屋にも出回ります。
芋焼酎を臭いと思っていた東京人のイメージを変えたのです。
富乃宝山は飛ぶように売れ、今では芋焼酎飲みで知らない人はいないでしょう。

ここまでの話は有名ですね、ちょっとだけ脚色しています。

僕が楽しみにしているのはここからです。
西社長、有馬工場長お二人には、共に男のお子さんがいらっしゃいます。
二人も同級生…

「富乃宝山」
酒造好適芋 コガネセンガン

黄麹使用
常圧蒸留


蔵元見学 醸し人九平次 万乗醸造

…もん家を開店した時に美味しい酒を次々と世に送り出して話題になっていた蔵元さんです。
僕が年間一番飲む銘柄かもしれません。


07年02月

新幹線で名古屋へ、前日入りしていた酒屋さんの車で
蔵元へ向かいます。

約20分ほどで到着。写真に納らないほど
大きな蔵。

杜氏 佐藤彰浩さんと挨拶をし、ちょうど浸漬して
いたところなのでお邪魔をしないように
見学させていただく。



浸漬は洗い米に水を吸わせる大切な作業。
どこまで米に水を吸わせるか、その年の米の状態、
品種、品温、水温などにより異なり、毎年のデータの
集計、杜氏の見極めの一瞬が後の製麹に影響を与えます。


←真剣な蔵人とカメラ目線笑顔の佐藤杜氏



一段落したところで蔵の中を案内してもらう。

発酵中の醪です、九平次特有の香り。

顔をあまり近づけると眩暈がするほどのガス…このまま落ちたら確実に死んでしまうらしく
佐藤杜氏に背中をつかまれる。九平次に埋もれて死ねたら幸せかもと思いながら二階へ。


蒸米に麹菌を繁殖させたもの。写真は枯らしといわれる
工程です。

差し込む光が幻想的ですね。

手にとって含むと優しい甘味があります、
良い酒になりますように。



蔵を一回り、瓶燗火入れ機なども見せていただく。


瓶燗火入れ


火入れとは加熱によって残存酵素を破壊し、
貯蔵中の品質劣化を防いだりするための作業。


生酒は旨いけど火入れだと別モノなんていう
酒がありますが、火入れのポイントは酒の熟成の
進み具合を見計らって行うこと、造り手の勘どころ。
醸し人九平次はそのタイミングが絶妙で、
火入れの第一人者だといわれています。


応接間へ案内され、お茶をいただきながらお話。

こんな広い家初めて、トイレをお借りして
出てくると小庭のようなところに竹筒から水がチョロチョロ。
ウチもユニットバスでシャワーから水がポタポタ出ていますけどね。


今年の酒造りの特徴、今後の展望などを聞く。
もん家でお客様が九平次を飲まれた時の感想や九平次フランス進出の話もして
気付くと夕方、まだまだたくさんしゃべりたいですけど、そろそろ引き上げます。


玄関で佐藤杜氏と記念撮影。
今回は九平治社長とお会いできませんでしたが、
また次を楽しみに。佐藤さん、酒屋さんありがとうございました。





日本酒をはじめて飲んだ西洋人は誰?

1549年8月15日、鹿児島に一人のスペイン人が上陸しました。
日本にキリスト教を伝えるために来た宣教師です。

彼は22ヶ月の滞在の間に、布教活動を展開しながらたくさんの日本の文化を学び、
日本の味に接します。


日本に最初に葡萄酒をもたらした人物ですから、日本の酒にも深い関心を持ちました。

彼はインドのゴアにあるイエズス会本部に宛てた手紙の中で、
日本酒についてこう述べています。

「酒は少なくて高価、日本人は食を節するが、酒に関してはそれほどでもない」

そう、彼の名はフランシスコ・ザビエル

その後に来日した宣教師たちも日本酒を気に入り、やはり手紙の中で、
「米から造る酒は強いけれども、甚だ良い酒だ」と書き残しています。

(参考文献)旨い酒 日和佐省二 朝日出版社